初代の森田経忠は、昭和30年頃から天草で車海老養殖の取組を始めました。昭和32年に会社を設立し、大借金をして、島でも有数の規模の養殖池(3.3万平米)を確保するなど、くるま海老1本の人生を歩んできました。当初はノウハウが確立しておらず、試行錯誤の日々でした。しかし、幾度もの苦難を乗り越えられたのは“島に産業を興して関わる人達を豊かにする”という強い想いがあったからです。
後にその想いを繋げ養殖業を守り続けたのは、経忠の長男(森田康司)でした。しかし先代の康司は志半ばで急逝し、今まで育んだ養殖業をどうするのか、誰がバトンを引き継ぐのか、幾度もの話し合いが行われました。 現在は、同じ天草で車海老養殖業を行なっている経忠の娘婿(岡﨑良一)が代表となり、次の世代(経忠の孫:森田美咲)に引き継ぐため力を合わせて、くるま海老の養殖を続けています 「大好きな天草」で「美味しい高級食材である天草のくるま海老」を通じて、「地域の活性化とお客様の笑顔を追求する」ことを目標に、想いを一つにして取り組んでいます。